NatumeHasegawaの日記

これは日記であり、遺書であり、言葉で言い難い思いを込めたものである。

人生、雨模様。外伝#1

私はメンエス嬢になる前はガールズバーで働いていた。

ガールズバー勤務時、仲がいい訳では無いが私が一方的に好んでいた先輩がいた。

ものすごくサバサバしていた人で好きだった。

 

その先輩に「君、ADHDだよ」って酔っ払ってる時に言われた。

本心か違うのか判断できなかった。だが、私も確かになと同意してしまった。

 

それから私は意識してADHDじゃないのかと考えることが増えた。

1部例をあげるのであれば洗濯物を干し忘れていたり、茶碗を泡だけつけて放置していたり、学校に財布、携帯、少ないがカバンを忘れて在中してる警備員さんに閉まった教室を開けてもらうなどをしてもらってることに気づいた。

 

あくまで、これは私の生活の一部だ。

他に気づいていない場所でそういう症状が出てるかもしれない。

 

そして現時点でも、急遽都心部にある友達の家に行きたくなった私は午後7時に都心部へと繋がる終電に飛び乗った。たった1日泊まるだけだが準備にはだいたい1時間かけた。

 

そして友達の家まではだいたい電車で2時間かかる。

電車に揺られてる途中で私は重大なことに気がついた。

 

どこを探しても財布が見つからなかったのだ。

どうやらまたやってしまったらしい。

 

最寄りが無人駅なこともあって、戻っても駅員さんには何も言われないので大丈夫だが友達と遊ぶ予定もなくなってしまった。

ギリギリ乗り換えの駅で自分の家への終電があったからよかったがなかった場合私はどうなっていたのだろうか。

 

ちゃんと精神科に行って証明した方がいいのかなんてことも考えた。

人生、雨模様。#2

恋とは何だろう。

中学一年の頃。保育園の時から好きだった男の子に彼女ができた。約8年の片思い。長すぎてびっくりするが私はとても奥手で毎年バレンタインに手作りのお菓子をプレゼントするくらいしかできなかった。

 

私の彼への片思いはなぜか学年のほとんど全員が知っていた。その当時は何も思っていなかったが今思えば公開処刑だ。

 

彼は低身長だがスポーツもでき、毎年たくさんのバレンタインをもらうイケメンで友達思いのやんちゃな人だった。

そんな彼に彼女ができたのだ。今まで彼女を作ってこなかった彼に。

その当時の私は少女漫画をたくさん読んでいたのでいつの日にか私の方に来てくれるだろうと思い、「へー、そうなんだ」ぐらいにしか思ってなかった。

彼の彼女は高身長、スポーツ万能、コミュ力が高く、容姿も美しくお似合いのカップルだったと思う。

 

彼に彼女ができてある程度経った日のこと。彼の彼女に一緒に帰ろうと言われた。

彼女はスポーツでうちの中学校に来ていて登下校は車のはずなのになと思いつつ、一人だったからいいよと答えた。

 

彼女がリードする形で話をしながら一緒に帰っていたが、半分くらいで彼女が唐突に「私に彼氏いるって知ってる?」と尋ねてきた。

知ってるよと私は表情を変えずに答える。

「よかった!なつめちゃんが無駄に傷つかなくて。私の彼氏だからあんまり近寄らないでね。」

と言われ、先ほどのように彼女がリードする形でお話をしながら帰ったが私は彼女の顔は見ることができなかった。

 

悔しいとかそんな感情は芽生えなかった。

ただ単純に傷ついたのだ。空虚だ。私がなぜ彼に恋心を抱くだけで傷つき、私が彼に彼女がいることを知ってるだけで傷つかないと思っているんだ。

訳が分からなくなった。私は本当に彼のことが好きなんだろうかとも思った。

彼に彼女ができたときはこんなにも傷つかなかったのに、彼の彼女から近づくなと言われ私は彼に選ばれることがないんだなと一気に現実味を帯びてしまった。

 

私はこの長い長い片思いに蓋をすることにした。バレンタインは毎年、中学卒業するまで送ることにした。幼馴染補正だ。

今でも、彼女の意図を理解することはできない。

ただ、あの時の淡い片思いを今ではもうすることはできない。昔みたいに傷つきたくないからだ。

 

求められたら求め返す。それが一番傷つかない方法と知ってしまったから。

人生、雨模様。#1

私は人生を何度か諦めようと思った事がある。

 

はじめて死にたいなと思ったのは小学五年生のころだった。

小学校に入ってから、ただただ一年一年が楽しく年を重ね、体だけが大きくなっていった私とは違って、同級生は心もとても成長していた。

 

空気を読んだり集団行動が当たり前な世界になっていたの気づけず自分のしたいことだけをしていた私はいじめとまではいかずとも小学生特有の誇張したいじりを受けることになった。

 

当時の私はそれがとても辛かった。やることなすこといじられるのだ。何が悪いかわからなかった。友達だった子たちも何も言わない。励ましもない。ということは、これはみんなの生活の一部であり、私だけが異常で異質な存在なんだなと思った。

 

いじりが続けば続くほどほど「ここにいたくない。死にたい」と考えたものだ。

だが、毎日学校に行った。母にも相談した。その当時、母に何を言われたかなんて今は覚えていないが励まされたのだと思う。

 

そんな日々が続いた休日のとある日、私は家族が全員出払っているときに食パンにシュガーバターを塗ったものをトースターで焼いていた。

数分後、なんか焦げ臭いなと思ったらトースターの中に入ってるパンから火が出ていたのだ。

当時の思考回路は今の私にはわからないが私はそれにびびって、アパートの二階のベランダからパンを投げ捨てたのだ。

地面は砂利が敷き詰められたものだったから何かに燃え移ることはなかったがその燃えるパンを見ながら「私もここから落ちたら」なんてことを考えた。

 

今思えば運が良ければ二階から落ちただけで死ねたかもしれない。だが、その当時の私は確実にここから飛び降りたら死ぬと思った。

死ぬことが怖くなった。なんで、こんなこと考えてんだろうとも思った。

声が出ない涙が出た。それからも毎日学校に行った。結果的に私をいじるのが楽しくなくなったのか。気づかないうちにいじられることはなくなっていった。

 

いじられることは今でも苦手だ。口調をマネする人も苦手だ。

でも、今は流せれるようになった。強くなれた。

だけど、当時の思いとともにそのことを思い出すだけで涙が出てくる。

本質は全然強くなれてないのかもしれない。

メッキで自分を囲い、強くなってるふりをしてるだけなのかもしれない。

人生、雨模様。#0

これは自分が何をしたいかわからなくなり、良し悪しが区別できなくなった普通の大学三年生のこれまでの人生とこれからを描く日記だ。

 

まず、私はメンエス嬢だ。入った理由は「綺麗になりたいから」と面白みのない理由だ。

結果、メンエス嬢になって早二ヵ月で私がメンエス嬢をしてると知らない友人は「めっちゃ、きれいになった!恋でもしてんの??」と聞いてくるレベルになれた。

 

整形はしなかった。あからさまに変わってしまうのが嫌だったからだ。変えたことと言えば、安いプチプラの化粧品をデパコスに変え、服も生地の薄い安いものばかりではなく、ファミレスのバイトしてた頃には買えなかった少し高めのワンピースを買ったりした。

今の生活を続けるのであれば、これからも私はメンエス嬢として働いていかないといけないんだなと考えると少し鬱っぽく思ってしまうが、この仕事は嫌いではない。

 

だが、私は何かに依存しやすく、傷つきやすい体質だ。自分の心が壊れかける寸前を何度も体験しては笑えるようにと暗示をかけて今まで生き残ってきた。死ぬことは怖いが生きることも怖い。何かに吹っ切れたとき、私は何も考えずに自分の命を絶つだろう。

 

そして余談ではあるが最近記憶力の低下が激しい。どうして、このような人生を歩むようになったのかも思い出すのが辛くなってくなってきた。

今、思い出せることをここに残し、生きていた時はこんなこともあったなと思い。

死んだときはこれが遺書になるようにここに残していきたいと思う。